えだまめ -29ページ目

アメーバとSafari

ワタクシ文章を書く時は
大抵Macintoshで書いているんですな。

寝転がってiBookで書くのが好きだとか
OSXのフォントが好きっていうのとか、
まぁ、細かい理由は色々有るんですけれど、
別に意識しているワケではないんですが、
日本語はMacintosh 、
コードっぽいモノを書く時はAT機っていう
棲み分けがなっているようです。

で、このアメーバもMacintoshで書きたいんですが
OSXでの標準ブラウザーであるSafariと
このアメーバブログとの相性悪すぎ。。。

記事を書こうと、ボタンを押すと、
セキュリティー警告の嵐ですな。
さらに「ヌルではじめるページは読めん」とか言われる。

まぁ、その辺りは無視できるんですが
文字の指定で、太字とか色をつけようとすると
これが、うまく行かない。

まぁOSXでSafariを使っている人って全体から見ると
ゴクゴク僅か何でしょうけれども。。
なんとかならんのかなぁ。っと。

ちょっと思う次第です。。

私のおにいちゃん

もう少し前になってしまいましたが
「週刊わたしのおにいちゃん」という
フィギュアつき雑誌が角川書店からでていまして

http://www.wata-oni.net/


これ、売れているそうなんですな。
「妹」というキーワードで作られた雑誌なんですが
エロではないんですよ。
純粋に「妹系」のフィギュア、イラスト、コミック。
っていっても、ロリコン、アリスコンの雰囲気は多少あるのですけれど、
まぁ欲情とか言うレベルの話ではないシロモノで御座いますよ。

安っぽい文化論みたいなことを書くと
これは、言ってみれば19世紀の西洋であった
「妖精ブーム」のようなシロモノとの類似点を
非存在という所から見てみるのも面白いかと思うんですが、

今回はこの出版部数の話。何でもある所で、この雑誌は
「初回は五万部しか刷っていなかった」というのを聞きまして

おいっ。「五万部しか」って五万部って言えばマニアック雑誌では
結構な数だぞっと。思うわけでありますな。
例えばココでも何回かとりあげている
通人向けの漫画の月刊雑誌の「コミックビーム」は公称五万部。。実売・・・。

いや、絶対に買う人はいると思うのですよ。この「妹系」は
決して売れない本ではない。
しかし、そう考えた上でも、五万部というのは、
まぁ手堅い商売としては妥当な数字だと。思っていたんですけれど。。
見る人が見ると「五万部しか」ですか。。五万部「しか」。。

で、この五万部はあっという間に完売で、増刷、増刷らしいですな。
出版不況が叫ばれ続けているこの世の中、
こんなに雑誌に金出す奴が世の中に居たんかい。という感じ。
なんでもインターネット書店大手のAmazonでは
一時トップの座をこのシリーズが占領していたとか。


まぁこういう種類の本はインターネットの方が買いやすいっていうコトも
あるでしょうが、それでもすごいですな。

考えると、去年から「萌える英単語もえたん」というのが売れていたり。
いや、これは2次元美少女のナビゲートによる
アニメの一場面のような感じの例文を使った単語集なんですが、
わずか発売半月余で10万部突破という勢いだったり、


いったい、こういうのが好きな人って、
ひとくくりにしてはいけないのですけれど、
こういう企画に乗ってこれる人の市場っていうのは
現在かなりになっていると見ていいでしょう。

おそらくは、五年前とでは規模が違う。
「ごく一部の人」から、確実に「アノ人も」っていう感じで
愛好者は確実に世間に広まっている。
そして、こういう「萌え系」の企画に抵抗が無くなっている人も増えて
かつ、面白ければそれに乗っていこうかっていう人が増えている。
現在進行形で。

おそらく2chを始めとしたインターネット文化で
発掘されたというか慣らされたというか、開花させられた人達が、
今現在、膨大に産まれている最中ではないでしょうか。


そして今後、例えば紙面であるとか非コンピューター系のメディアへの
露出によって「萌え系」が、おじさんおばさんの間においても
認知、一般化することも十分可能なわけで、というか
すでに一般化しそうな兆しすらみえそうなわけでありまして、
その一端が単語集の出版だったりするわけなんですけれど、

現在は、まだ多くの消費者が自分で「少し恥ずかしい」と
思っているような状態なのも覚えておくべきですな。


これが数年先に市民権を得るようになってくると、
一般消費者が「萌え系」を堂々と流通消費するようになって、
そこには現在とはすこし違った方向性で
新たに巨大な市場が確立するかもと思うわけでありますよ。

小学二年生の女の子が「萌え系」のキャラクターが入った
ランドセルを背負って、女子高生の携帯待ち受けが「萌え系」。
お役所のパンフも、おじさんの会社のディスクトップも「萌え系」。
すでに兆しが見えていたりして。。。

でも、こうなってくると、ちょっと「萎え系」?
しかし、そこには確実に広がっている市場があるわけで、
まぁお金になる部分。。

これを世も末というのなら吉の部分もあろうと。



いやはや、世も末吉という一節。

プロシューマーとは

プロシューマーという言葉が好きで、
って最近では滅多に耳にしませんけれども。。

これは、
プロフェッショナル(専門家)と
コンシューマー(消費者)とを
掛け合わせた造語なんですけれど、

ようするにプロ並みの技術や観察眼を持った
アマチア層、消費層のことですな。


以前アップル・コンピューターなんかが、
盛んにこの言葉を使っていましたけれども
その傍らで、
コンシューマー向けとエンタープライズ向けにターゲットを分離させた
マイクロソフトの強力なウィンドウズ戦略にやられた感がありまして、
最近は、このコンセプトはアップル陣営もあんまり打ち出していないようですな。


そういう流れを見るまでも無く
なんか最近のパソコン以外の消費動向を
キーワードにすると、「素人でも簡単」か「プロが満足」
この二極化になってきてしまった様子がありますな。
これは、ちと寂しい限り。


何故寂しいのかというと、
実はプロシューマーっていうのは、
作品に対して的確な批評なり意見が言える層、
あるいは言うべき層であるかもしれないと考えるからですな。

ここがなおざりであるような文化は、
けっこう危うくなるのではないかなぁっと。

具体的に言うと、
楽器の演奏なんかを考えると
ぱっと聞いてヘタな人ってわかると思いますが
正直な話、有る程度のレベル以上になると
素人は区別がつかない部分があると思います。

巧い人の上手さを正当に評価するためには、
聞き手にも有る程度の技量を要求する。



逆説的に言うと、だからこそ
「解説」や「批評」という仕事があったりするわけなんですが、
まぁ、そういう外からの情報にふりまわされる人だけではなくて
しっかりと聞いてくれる人がいるかいないかっていう部分は
演奏者にとっても重要な問題なんですな。

そして、面白いのが、この作用というのは
必ずしも「象牙の塔」を作るだけではなくて
一般にも還元される面を持っているってコトですな。

うまくいけば、トップあたりの名人上手のヒエラルキーを
作るだけではなくて、その下部においても、
耳の肥えた観客をわかせる努力が産まれてきます。
うまくいってないトコロも多くあるようですけれど。。


以前松本人志さんが
「観客のレベル」という話をしていましたけれども

たとえば「お笑い」に厳しい関西という土地。
これはもう、「笑い」がその土地柄に合わせて
文化や生活にまで発達しているんですな。

ふつうの、おっちゃんが
「正月の「中田カウス・ボタン」はおもろかったなぁ」
とか、テレビを見ながら
「ああ、この若手、オチがあかんわ。」
と言っているような世界。

その日常生活にまで
「笑い」が入っていたりするワケなんですな。

ですから、普段テレビを見ている
おっちゃんおばちゃんに
不意にテレビカメラを向けても面白い。

テレビの世界の
関西の素人は面白い
という話は、じつは彼らが
笑いのプロシューマーであるっていうことの
他ならないワケなんですな。

裸にエプロン

「裸にエプロン」っていうとですねぇ。男性の妄想を具現化した服装スタイル
なのでそうですが、どうもワタクシにはそんなに価値を見いだす
格好とは思えないのですよ。

いやね。網タイツならば足を綺麗に見せる効果があったりしますし、
裸に靴下とかだと変な具合に生活感が感じられて、
大変宜しいかとおもうのですが、
裸にエプロンって・・・。
何がしたいんだ?っと。
裸なら、ハダカ。料理を作るのなら料理を作れっと。

ハダカで割烹着とかハダカでシェフ・ハットではなぜいけないのかと。
いや、誰もイケナイとはいってはいないみたいなんですが。
とりあえず「裸にエプロン」ってどうだかなぁ。と思っております。

皆さんホントにそんなに良い物だと思っていらっしゃるんですかねぇ。
どちらかというと、「裸に英国で大人気のプリーツトックシェフハット」とか
「裸にヨーロッパで人気のコンチネンタルシェフハット」とか
「裸に和帽子」とか(あの割烹着の上に被る奴ですね)
「裸に中華帽」(中華料理人が被っているアレですね)って
いうのはどうですか。みなさん。
いや、ワタクシ別に帽子フェチっていうワケでもないんですが。

しかし、なぜゆえに、こうまでも裸にエプロンが
世の中に染みこんでしまったのかと考えますと、
何か特別な原因があるのではないだろうか?
とか考え込んでしまうワタクシでありますよ。

で、色々考えたワケですよ。眠れぬ夜に独り悶々と。
まず頭に浮かんだ問題が、
「裸にエプロン」姿を世の中に広めたのは誰なのか?というトコロ。

日本人ならばたいてい「見たことがある」裸にエプロンな人は誰なのか?と。
AV女優の某とか?いやまて、エロ漫画のなんだかかんだかか?と
そういうお店とかビデオってそんなにみんな見たり行ったりしているのか?
とかとか。

ってところで、ここ何日か、うんうん考えていたんですが、
ついにハタっと気が付いたワケです。

一番、世の中に裸にエプロンで知れ渡っているヒトを。
そう。賢明なる読者のみなさまならもう気が付いておられるとは思いますが、
そのヒトとは「ムーミンのママ」であります。

いや、もう。これは疑いようがない。
おそらくは全世界規模で言っても。一番裸にエプロンなヒトでしょう。

ムーミンママは裸にエプロンで、ハンドバックを持っているという、
なかなか高度なプレーを日常的に展開されておられます。
これが「ムーミンパパ」の趣味かどうかはいま一つワカリマセンが、
ひょっとするとトーベ・ヤンソンの陰謀かもとしれませんな。
どういう意図かはやはり計りかねますが・・・

とにかくもう、「ムーミンのママ」は
裸にエプロンの頂点を極めておられるといっても良いでしょう。

世の男性の多くは子供のころに見た「ムーミンのママ」に原体験をいだいていて、
それでもって「裸にエプロン」に幻想を持つようになったのであるのかないのか?と。
考えてみるとワタクシ。地域の関係で子供の頃には「ムーミン」を
見ていなかったのですよ。ですから「裸にエプロン」が、あんまり・・・
と感じてしまっているのかもしれませぬぞ。


というわけで「『裸にエプロン』はムーミンママ起源」という
一大仮説の成立を今ココに発表しよう

と思ったり思わなかったり・・・・。 

運について考える

運が無いという言う人の話をよくよく聞いていると、
幸運が無いというダケの人が多いわけで、
本当に「不運続き」な人って言うのは、
運がある」人ぐらい少ないわけです

これは「金運」についてもいえるわけで
平平凡凡な日々の人が、ふっと小さな不運について
「金運がないなぁ」って呟くことが多いのかも。っと。
中には本当に「金運がない」人もいらっしゃいますが。。
基本的には「幸運が無い」と言う人。


でも、その一方で「人運」となると
人運がない」という人というのは不幸な人との巡り合わせを体験している人が口にするようでありますな。
普通に生きていれば「人運」なんて考えない
自分に対して害がなければ、「それで良し」となるんでしょうかね。
悪く言えば「他人への興味」なんてたかが知れているってことかもしれませんな。

そんな中で、自分自身に対して
人運がある」と言える人っていうのはすごいなぁっと。
素樹文生さんのブログ「イケナイ宝箱」を読んでふと思いましたよ。


本当に「いい人にめぐり合わせる」ってコトもありますけれど
いかに日々の生活の中の人間関係に「運」を見出せるかということ。

人に対して「感謝」をしなければ、こんな言葉は生まれないワケですし
他人を認めて、評価していこうという姿勢が無いとだめですし
それを自分の中に活かそうというバイタリティーまである。


人を非難することは簡単ですし
人を認めないことも簡単です。
でも人に感謝して評価していくということは簡単ではない

自分も、「人運だけはある」
って言えるぐらいになりたいですな。