えだまめ -28ページ目

濃縮ウラン

「濃縮ウランを買わないか」
 というメールを変な友人からもらった。
 彼は、私が失職したとき一番に電話をかけてきてくれて
「イスラエルの諜報機関のモサドが人員を募集していたぞ」
 と、親切にも教えてくれた人だ。私はヘブライ語なんて喋れないと言うと、
「MI6でもスパイを募集していた」
 とも教えてくれた。どういう冗談なのか、今一わからないけれど、とにかく募集は本当らしい。とりあえず、折角だけれどもと断ったが不思議な電話だった。
 まぁその辺りが「変な友人」なんであるけれども、今度は「濃縮ウラン」か。一体どこで、そんなものを売っているのだろうか?石油の先物取引みたいな権利の売買かと思ったが、宅配で届けてくれると言うから、どうも違うみたいだ。
 以前本屋で「丸」とか「軍事研究」なんていう雑誌の裏表紙に、某商社の「ミサイル」販売の広告が載っていたのを見かけたことがある。「濃縮ウラン」にも、そういう取引があるのだろうか。でも相手は放射能物質。宅配便で届けられるのは困るだろう。
 以前何かで読んだことがあるが、日本の法律は、放射能の物質の保管に関しては規定があるが、輸送に関しての規定がないという。本当かウソ知らないが。だからやっぱり「濃縮ウラン」も宅配便で送れるのだろうか。ひよっとしてクール宅急便?いや冷やす必要はないんだ。
 しばらく悩みながら、そのメールを眺めていると、はっとした。「濃縮ウラン」というのが「濃縮ウコン」の間違いだと気づいたのだ。うう。あの肝臓に効くというウコンの健康食品なのか。その、濃縮したやつか。
 しかし、何故その友人が俺の肝臓を心配してくれたのか、未だによくわからない。ちょっと怖いから聞けない。

仏法説話から

仏法説話から。
 カタツムリの目の中には、片方に百の世界があるという。もう片方にも百の世界。その百の世界の一つ一つのなかにも、お日様があれば月もあり、大地もあれば海もある。当然そこには人が住み、仲良く暮らしているし憎しみ合っているし戦争もしている。カタツムリが生まれて死ぬまでの間。世界は生まれ、何度かの破滅と再生を繰り返し、カタツムリが死ぬと同時に終演を迎える。カタツムリが生まれて死ぬまでの何日かの間に全ての出来事が起こる。当然、その刹那な世界にはカタツムリもおり、その目の中には、またそれぞれ百の世界が存在している。その百の世界は、カタツムリの中のカタツムリが死ぬまでの間で、世界が始まり世界は終わる。その世界の中に住んでいるカタツムリの目の中にもやはり百の世界があり、その世界のにもカタツムリがいる。
 限りなく時間と空間は収縮投影されてゆく、いや我々自身の世界もカタツムリの目の中にある百の世界の一つにしか過ぎず、その世界の広がりは無限に伸びて行く

サロメより

エロディアスの台詞より。
「おまえの顔はまるで夢を見ているよう。夢など見るものではない。夢を見るのは病人だけなのだよ」
 
 僕は、あるいは私は、もしくは君は、病人なのだ。

船橋撃墜王のでろでろ日記

違うのは別に良いんですが
違いを認めないっていうのは、困り者。

で、自分が完全に正しいという顔をする。

一寸前に、そういう人に出会いまして、
カルチャーショックのようなモノをうけたんですが
世の中には「どこにでも一人はいる」
タイプなのだそうですな。

この前、ある人に
そういう人に出会わなかったってコトは
あんたは人に恵まれてたんだよ。って
言われましたですよ。

さすがに、この目の前にいる人は、
「いいのか?このまんま放っておいて」って
チト思うぐらいなんですが、
直接の関係がないので遠巻きに眺めているだけというか、

はたして、自分が口をだすと、
逆に「そういう人」になってしまわないかとか。

なにぶん自分が「困り者」と判断した
根拠も「困り者」の思考なのかもー。とか。

無根拠な自信というのにちとあこがれる
船橋撃墜王でした。

太平洋へ一線を引け

高橋鐵さんという人がいまして、
この人はどういう人かというと、
戦前の、今で言うコピーライターの
元祖の一人ような人でもあるんですけれど、
近年は性科学者としての認知の方が高いですかな。。


もともとカルピスの広告なんかを作っておられまして
戦時下の南方論侵攻論のさなか、
新聞広告に掲載された
トンボ鉛筆の「太平洋のへ一線を引け」っていう
名コピーで商工大臣賞を受賞しておれますが、

本人曰く、あの図案の鉛筆は男性の勃起角度であったのだよ。
とかうそぶいておられた様な人だったらしいですな。


いまちよっと手元の資料が散逸しておりまして
あまりくわしい話は書けないのですけれども、

つい先日ですな、上野の古本屋にぶらりと立ち寄りましたら
昭和二十七年発行の性文化誌の「あまとりあ」という雑誌を見つけまして。
まぁ、戦後タケノコのようにわいた、エログロナンセンスを基調とした
カストリ雑誌を思い浮かべてもらうとイイ感じです。

正確に言うと「あまとりあ」は、
カストリ雑誌とは少し違うとおもいますけれども、
時代的にはそんな流れの中の雑誌の一つです。

で、この「性」をあからさまにテーマとした「あまとりあ」誌は、
当初から当局の弾圧を受け続けるのですけれども
高橋鐵先生は「和製ヒトラー共に潰されるまでは続刊」
という意気込みだったそうですな。

しかしなんやかんやらで30年には、
この雑誌も廃刊となってしまいます。

その辺りの話も色々と調べると面白いんですけれど、
今回は、おいておきまして、


ワタクシが古本屋で見つけた号が発行された
二十七年当時というと、この雑誌に高橋鐵さんが
深く関わっておられた時分ですな。

それで、この「第2巻 第十二号」(巻は年巻みたいな感じですな)
で面白いなぁと思ったのが、高橋鐵先生の
「満たされぬ性欲から起こる犯罪」という一文。
その中にこういう一節があります。

 古来夥しい売淫の研究を読みつくしてみても、
 「売淫はなぜ悪いか」という問題をハッキリ割切ったものは
 殆ど一つも見当たらないから不思議である。
 「男たちの放蕩心をそそる」「社会を乱す」
 「性病を蔓延させる」などという程度である。


そういえば、21世紀も、ついこの前
「人力検索サイト はてな」
で似たような話がありましたなぁ。っと

「売春は何故悪いか。中学生でも納得できるような答えが欲しいのです」

というような質問。
ざっと眺めただけですが
どうも下らない解答がズラズラと並んでいたように見えましたな。
http://www.hatena.ne.jp/1082548647



ワタクシ、「はてな」では解答はしていないのですけれど
高橋先生がおっしやっているように、
淫売の研究の方面から明確な解答を持ってくるのは、
まず無理が、ありましょうな。

で、この解答というのは、この高橋先生以降に出現した
構造主義的なアプローチからなんか色々あるとおもいますし
ワタクシなりの論考もあるのですけれども、
まぁ、今回はそれもおいておいて。。


この「質問」と「回答」を眺めていて、
個人的に「はてな」で
ワタクシが大変不満に感じている所があるのですね。
どういうところかというと、
Web上の情報を転がすダケの解答が多い部分ですな。
さらに「はてな」では、そこにポイントのやり取りを加えている。

もちろん、いくらネットが広大だと言っても
全ての情報がネットにあるわけではなく
むしろネットで見つかる情報なんて限られている現状
もあるんですけれども。。


一番の部分として、他人の新聞をのぞき見して得たような知識に
対価を払わせるのかと。
そして「元はAさんの新聞の意見ですよ」っていう。
意見を表明することで産まれるはずの責任を
回避しようとしているような構造が見え隠れする。
この辺りはワタクシのブログ批判に通じる所もあるんですが、
どうも気に入らない。。


でもまぁ無料の掲示板やら、
その他多くのブログなんかでやっている分には
まだ邪気がないんですが、
その過程でポイントのやり取りが絡んでくると
「なんかちがうなぁ」という部分がでてきますなぁ。。


どことなく、あさましを感じてしまう。。

初期のインターネットを支えてきた
「贈与の精神」って、人が多くなってくると、
成立しなくなってしまうのかなぁという感じも少し。。

いや、そうじゃない。とも言いたいですな。。